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【初等・中等】国語専攻【学年問わず】
[588]名無しさん@愛教ちゃんねる:2007/09/29(土) 16:23:20
(中世的説明)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」……これについて正史である『吾妻鏡』には記述がありません。
諸々の日記類にはどうでしょう。『吉記』には関連記述はなく、『山槐記』にもそれらしき記事は見えません。
しかし、『明月記』に「或人曰某自東国来、暫時滞在云々」という記述が見えます(※嘘)。
基本資料としてこれら歴史書類のチェックは必須です。
それにしても島村は雪国を目の前にして和歌の一首も思いつかなかったのでしょうか。
通常であれば「み吉野の山かきくもり雪ふれば麓の里はうちしぐれつつ」(新古今集・巻六・冬・588)
という俊恵の一首が思い起こされるところでありましょう。
歌ことば的な世界を構築しようという意思は、作者にはなかったのでしょうね。
(近世的説明)
遅刻すんなーーー。
あ、雪国?そこなら知人がいるから必要なら連絡してみよう。
(近代的説明)
国境というのは自己との対話としての一つの接点でありまして、
トンネルと言うのは孤独のメタファーであります。
自己の内面との接点である国境を介して孤独のトンネルを抜けると、
そこには雪国……一種の楽園が待っていたということになります。
この世界では島村の自我が崩れることはありません。
こうして、駒子との快楽に身を任せることが可能となるのでした。
ここでは全ての表現が通常の意味を拒絶し、ある種祝祭的空間の中で意味の反転が起こっています。
読者は作者の用いた方法に敏感であるとともに、
作者の敷いたレールから自由になってテクストと向き合っていかなければなりません。
私はこの小説を初めて読んだとき、そのあまりの奥行きの深さに涙をぽろぽろと流したのでした。
しかし、この話を川端の孤児根性と結びつけるのは感心しないなあ。
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