【3:670】【初等・中等】国語専攻【学年問わず】- 1 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:05/10/05 02:51
- 大昔はそこそこ優秀だった(らしい)本学国語科。
学年や、初等・中等の区別を問わず、
・この授業は〜 ・こんな卒論書きたいけど、どの研究室がいい/ラク/大変? ・教育実習での国語の授業について
などなど、自由に情報を交換したりしましょう。 また、学芸課程の人の国語系授業/教員についての書き込みや、 他専攻の方の「国語科研究/教育」の授業/教員についての書き込みも可。
- 662 名前:プチトマト:2011/03/02(水) 15:55:50
- 今度彼氏が愛教大を見に行くそうで、一緒についていきます。
帰りにどこかゲームセンターなど遊べる場所はありませんか? なるべく大学から近いところが知りたいです><
- 663 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/07/16(土) 22:22:04
- 歌謡曲 歌詞 評釈 中島みゆき『ファイト』
印象的にいえば、その時代の「空気」がよく伝わってくる。誰もが全力で生きていた時代。 汗水流して働くことをいとわず、それが当たり前だった時代。そんな時代の人へのエール。 それが今でも十分に人々の心に響く。ラジオでの実際の投稿から作られた曲。 この曲が、冒頭のセリフを投稿した人への「ファイト」のエールでもある。
◎あたし中卒やからね 仕事もらわれへんのやと書いた →戦後の高度経済成長期のころのことか。進学を希望しながらも、就職することを 余儀なくされ、商店で働く投稿者は、店主の「事務の仕事 は任せられない」という言葉を耳にし、やりきれない気持となり、中島の深夜ラジオ 番組にはがきを出した。 (省略されました・・全てを読むにはこちらを押してください)
- 664 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/07/16(土) 22:31:58
- ◎ガキのくせにと頬を打たれ
→すぐ前の話題から転じて、「ガキ」について。これ以後もいくつかの挿話が続く。 これらは全く別の話ながら、ある共通性がある。学歴・年齢・性別など、所与の 既成概念としてあるものに抵抗することのできない不条理の告発である。 ここでも年齢の若い「ガキ」が何らかの主張をし、それが内容ではなく「ガキのくせに」 という理由で暴力的に退けられた様子が目に浮かぶ。これも当時の時代であり、 商業主義・市場主義が若者をターゲットとして若者を祭り上げる現代とは、想像以上の 隔たりがある。
◎少年たちの眼が年をとる →そんな少年たち。ここでは「眼」に注目する。眼は口ほどに、というように、 それは気持ちが表れる。ここで「ガキ」は抵抗していない。ただひたすら、年長者の仕打ち (省略されました・・全てを読むにはこちらを押してください)
- 665 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/07/16(土) 22:40:58
- ◎私 本当は目撃したんです … 私の敵は 私です
→通り魔なのか、子を持たない女のうっ憤なのか。群衆の中の狂気に突然接した とき、人は沈黙するしかない。しかしここでの「私」は、そんな自分に耐えられず、 自分を責める。「私」はそんな「私」と、これから一生付き合っていかなければなら ない。悪に無抵抗な自分と、それを内に抱え込むことの気分の悪さ。その「目撃」を 他者に伝えるまでが、「私」にとっての闘いなのであろう。
◎暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく →鯉の滝登りのような、魚類の走流性の力強さ。この曲の基底には、水の流れにあらがう魚 があり、それはもちろん冒頭の世間への告発としての人々とも通じるものである。 「のぼって」という動作が力強さを増し、それが「暗い」水の中であるというのも、目に 見えないところでのあらがいであることを確かめている。そしてこれも、力を持たない人間の (省略されました・・全てを読むにはこちらを押してください)
- 666 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/07/16(土) 22:47:54
- ◎光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
→「光」るという美しさ。それがどうして生まれるのか。その「光」の由来を、 中島独特の解釈により説明する。それが生物学的に正しいのか否かは問題でない。 流れに必死にさからい、岩に体をぶつけ、ほかの魚と身をすり減らしながら、 必死に「のぼってゆ」く魚たち。「鱗」は「傷ついて」、「はがれかけ」ている。 しかし、そんな「傷」こそが、「光」り、美しさをもたらす。そんな姿こそが、 尊く、美しいものなのだという、中島の美的感性の表明であり、同時に傷つき ながらも懸命にもがき苦しみ、前進しようとする者への、説得力を持った全力の 「ファイト」の言葉でもある。付言すれば、「揺れる」とあるのは、「傷つ」きなが らもなお前に進むことをやめないからこそ「光」るのである。単に「傷つ」き、 そこにうずくまっているだけではない。そのことが、周到に表現されている。
- 667 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/07/16(土) 22:57:07
- またこの「揺れ」は、ラジオに投稿してきた「女の子」の文字の「ふるえ」とも
重なるものがある。それは、前に進むことをやめない者だけがする武者震いなの でもあった。
◎薄情もんが田舎の町に あと足で砂ばかけるって言われてさ →故郷を出てようとする若者。この言葉は、身うちではない近所の人。 故郷を捨てるのかという批難。それでも捨てきれない夢。しかしその人は 「出てくんならおまえの身内もすめんようにしちゃる」と言う。今では想像 もつかない共同体意識。これらにより結束していたムラ社会。そんなムラが、 身内を村八分にするという。どうすればいいのか。どう、自分の夢を、 あきらめればいいのか。
(省略されました・・全てを読むにはこちらを押してください)
- 668 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/07/16(土) 23:12:21
- ◎あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
→方言の使用。故郷の雰囲気を出す。どうにも、自分を偽ることのできなかった 夢と、それを具現化した「切符」。それを「あんたに送る」。どこにいる誰なのか。 行先は「東京」であることが、この段落の最後で示されることも、余情にあふれている。 そして、その「あんた」とは、おそらくは「東京」にいる恋人か。あるいは親友、夢を 同じくした同士か。自分ではとても持っていることができない。それを見れば夢を思い 出してしまう。自分のつらさが増すだけである。だから送ってしまう。自分の思うその人 に持っていてほしい。それが自分とその人との、夢を媒介にしたつながり・キズナの確認 でもある。何度もつらい思いで、苦渋の決断をする中で、悔しさとやるせなさの中で流した 涙と汗に「滲んだ文字」。「東京」という夢が記された「文字」を、自らの手で不鮮明にし、 それはそのままおぼろげな夢が消えていく状況をも表している。
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- 669 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/11/20(日) 17:18:17
- 自分の中ではっきりしたものがつかめたように思う。
黄色、しかも徹底的に色チョークといえば黄色しか使わない主義が、自分にとって は高校的なのだ。そこには黄色しかないような、そんな錯覚すら覚える黄色主義。 ところどころ、もはや色を変える意味すら忘れさせそうな、黄色のチョーク。 形であろうと、マークであろうと、アンダーラインであろうと、黄色。 もう黄色には飽きた、いいかげんほかの色はないのか、というような色使い。 こうしたものの連続的日常が、高校なのだと思う。
- 670 名前:名無しさん@愛教ちゃんねる:2011/12/07(水) 21:02:28
- 服部訓和 来年からよろしく
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